東京会場にて、サーレフさん講演より [会場レポート]

4/24(日)に明治大学駿河台キャンパスで開催された「第3回 戦争と貧困をなくす国際映像祭」東京会場にて、イラクからの招請者である・サーレフ・アル・イラキさんから、イラク占領による原発施設の核物質流失による被害、DUの被害、2/25のデモの闘いと弾圧などを熱く語ってもらいました。

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タンムーズという名の原発施設、1980年代にイスラエルの空爆によって破壊された施設で、2003年には修復されて稼働していた。2003年に米軍がやってきてから、核施設が管理されない状態になり盗賊が入って荒らしまくった。中にある核物質の入ったタンクの水をチグリス川に流した。その容器を貯水タンクにするため。飲用水用としても使われた。2005年から5年、8年たって、人々に様々な症状が出ている。IFCとサナテレビがそれを取材してガンが広がっていることを取材して撮影している。バグダッドの南側にチグリス川の流域に患者が多い。これは明らかに川の水を引用したりその水を使った農作物を摂取したことが原因。特に悲劇的に現れるのは新生児。日本に来る前に私は10近くの病院を回った。イラクで最大クラスの病院で一番多い病気は白血病。医師に聞いたら、こうした原因は劣化ウラン弾などの米軍の兵器による放射線物質の影響か、チグリス川の汚染された水が原因であると教えられた。白血病以外にも乳ガンなどのガンも多発している。

白血病に冒された一人に、今から日本に行ってくる、と言うと、その子は絵を描いてくれた。「イラクの現状を助けてほしい」と訴えた。特に悲しかったのは、同じく絵を描いていた子の中で目にガンができて、悪化しないように目を切除された子がいたこと。同僚の手を借りて絵を描くようにした。一人では描けないが、自らを解放するように喜んで書いてくれた。

失業者が非常に多い。

憲法22条があるのに拷問が行われたりする。映像を撮って、大統領に「人権はどこに行ったのか?」と手紙をつけて送りつけた。これらの映像を証拠として突きつける。人権省と内務省に対して、拘束されている人の人権を守れと言う抗議行動を行っている。証拠を突きつけると当局は返す言葉もない。

エジプト、チュニジア、リビア、イエメン、シリアと大きく波のように広がっている。この動きは報道も黙っておらず日々の動きを報道している。しかしイラクを除いての話。

まだイラクに占領軍とそれを支える政治システムが残っているから。こういった権力が報道を制限している。チュニジアやエジプトよりずっと早くから動いていたイラクの報道がされていない。今では「こうしたデモがあった」と軽く報道されるだけ。こうした動きはIFCなどが組織していた動き。200人程度からはじめた動きが6000人にまでなったときもあった。クート、バスラ,サマラなど。

占領軍に支えられている政治プロセスを改変しろという要求、治安とパンと自由を求める動きをスローガンにしている。

弾圧にはオリーブを持って橋のほうに突進する動きをしたりした。第22,25部隊やマリキの第17部隊が我々に反抗してきた。おぞましいのは、デモ隊の前に上空からヘリコプター数台がデモ参加者の頭上すれすれに下降させて威嚇行した。それでもデモを進めると熱湯をかけてきた。催涙弾や実弾も使われた。負傷した人も出た。映像で出ていたラフワンと言う人も負傷した。病院に運ぶ最中に逮捕すると言うことをやってきた。病院で負傷者を逮捕した。拷問を加えられるので負傷者を病院ではなく自宅に運んだりした。深刻な負傷のために亡くなった人もいる。

国連のイラク代表に連絡をしたこともある。しかし、国連はごく簡単なレポートだけで大きな動きはなかった。

デモ隊に対する非人道的な扱いはかつてなかった勢いで行われている。他の国ではここまでは行われていない。

その中でも人々に伝えデモを組織している。サナテレビがその中の一つとして動いていることに誇りを感じます。家族や子どもたちに対する補償の動きもはじめている。

その政府軍がサナテレビの本部も破壊した。資料や報道器具はすべて盗まれたり破壊されたりした。建物がまったく崩壊させられる目にあったり、機材がぐちゃぐちゃにされたりした。それ以外にも本当にたくさんのことがある。

電気で拷問された。ドリルのようなもので足を傷つけられた(2つは同じ)その次も同じドリルの手口。下に日をいて高熱にした鉄板の上に座らせられた。手錠を2人を結びつけて、5センチも離れられない。こうした無理な姿勢で拘束され、後で障害となる背骨の損傷を追った人もいる。こうした写真をもとにして「憲法に保障された人権はどこに行った?」という手紙を首相に送りつけた。

(背中に拷問のある写真)無知や電気の通った棒で殴られた傷。空中につるされて50センチ浮かされて殴られた。痛めつけて冷たい水で痛めつけられた。これも棒で殴られてできたあざ。

頭を棒で殴られた。ひどいと深刻な発作を起こしたり記憶を失うことがある。

歌「チュニジアと同じようにお前は逃げることになるんだ、マリキ」

催涙弾や時々実弾が発砲されたりしてまるで戦場みたいになる。

イラク軍も途中から介入して我々の道をふさぐことがある。

(まとめ:イラク平和テレビ局 in Japan M)

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